橋本病と妊娠 ― 妊娠を希望される方へ
橋本病(慢性甲状腺炎)と診断されてから、「妊娠できるだろうか」「お薬は赤ちゃんに影響しないだろうか」「授乳はしても大丈夫だろうか」とといった不安を抱える方は少なくありません。
結論から申し上げますと、橋本病は適切に管理すれば、ほとんどの方が問題なく妊娠・出産・授乳ができます。大切なのは、妊娠前から甲状腺機能を整えておくこと、そして妊娠がわかったら早めに主治医に相談することです。
このページでは、妊活中・妊娠中・出産後(授乳中)の各ステージにおける管理方針について、日本甲状腺学会のガイドラインや国内外の医学研究のエビデンスに基づき、わかりやすく解説します。
橋本病が妊娠に与える影響
橋本病があると、妊娠・出産において以下の点に注意が必要です。
- 甲状腺機能低下症になりやすく、放置すると排卵障害や着床困難につながることがある
- 甲状腺の抗体値(TPO抗体・Tg抗体)が高い場合、流産のリスクがやや上昇するという報告がある
- 妊娠中は胎児の発育のために甲状腺ホルモンの需要が増え、お薬の増量が必要になることが多い
- 産後は甲状腺機能が変動しやすく、産後甲状腺炎を起こす可能性がある
これらのリスクは、妊娠前に甲状腺機能を適切な範囲に整えておくことで大幅に下げることができます。「橋本病だから妊娠は難しい」というわけではありませんので、過度に心配される必要はありません。
エビデンスからわかること
日本甲状腺学会が作成した「妊娠と甲状腺機能異常に関するガイドライン」では、以下の点が明確に示されています。
- 甲状腺機能低下症(TSHが高く、FT4が低い状態)を放置すると、流産・早産・胎児の神経発達への影響リスクが高まる
- 抗TPO抗体陽性は、甲状腺機能正常の方であっても流産リスクを約2倍に上昇させるというメタアナリシスがある(Thangaratinamら, 2011)
- ただし、抗体陽性であっても甲状腺機能が正常であれば、必ずしも治療介入が必要とは限らず、経過観察が基本とされている
つまり、「抗体がある=すぐに危険」ではなく、「機能をしっかり整えておくこと」が最も重要であるというのが、現在の医学的コンセンサスです。
妊活中からやっておきたいこと
妊娠を希望されている段階で、以下の準備をしておくことをおすすめします。
- 甲状腺機能(TSH、FT4)と抗体値(TPOAb、TgAb)の検査を受ける
- TSHが目標範囲内にあることを確認する
- すでにチラーヂンを服用中の方は、妊娠に備えた用量になっているか主治医と確認する
- 葉酸の摂取など、一般的な妊活の準備も並行して行う
特に不妊治療を受けられている方で甲状腺機能をまだ検査していない場合は、ぜひ一度ご相談ください。甲状腺機能が整うことで、不妊治療の成果が向上する可能性もあります。
当院が推奨するTSH目標値
日本甲状腺学会のガイドラインおよび米国甲状腺学会(ATA)のガイドラインを参考に、当院では以下の目標値を設定しています。
- 妊娠希望時:TSH 2.0 μIU/mL未満(理想は0.5〜1.5)
- 妊娠初期:TSH 2.5 μIU/mL未満を目安に厳格に管理
- 妊娠中期〜後期:TSH 3.0 μIU/mL未満を目安に管理
※近年のATAガイドライン(2017年)では、各医療機関ごとに妊娠特異的なTSH基準範囲を設定することが推奨されています。当院では上記の値を一つの目安としつつ、お一人おひとりの背景に合わせて個別に判断しています。
抗体値(TPOAb、TgAb)が高い方は、甲状腺機能が正常範囲内であっても、より早い段階からチラーヂン治療を検討する場合があります。
妊娠がわかったら ― 初期の対応
妊娠が判明したら、できるだけ早く主治医に連絡してください。妊娠初期は胎児の脳や神経の発育に甲状腺ホルモンが不可欠であり、この時期にお母さんの甲状腺ホルモンが不足すると、発育に影響を及ぼす可能性があります。
日本甲状腺学会のガイドラインでも、妊娠初期の甲状腺機能低下は胎児の神経認知機能に影響を及ぼす可能性が指摘されています。一般的に、妊娠が確認された時点でチラーヂンの用量を30〜50%増量します。すでに甲状腺機能が十分に整っている方でも、妊娠による需要の増加に備えて早めに調整することが大切です。
妊娠中の管理のポイント
- 妊娠中は原則として月1回の血液検査(TSH、FT4)を行い、必要に応じて検査間隔を短くします
- チラーヂンの用量は検査結果を見ながら細かく調整します
- 鉄剤やカルシウム剤を服用している場合は、チラーヂンとの服用間隔を4時間以上あけてください(吸収が妨げられるため)
- つわりで服用が難しい場合は、主治医にご相談ください
チラーヂン(甲状腺ホルモン剤)と胎児への影響
「妊娠中にお薬を飲み続けることが赤ちゃんに影響しないか心配」というご相談を多くいただきます。
チラーヂン(レボチロキシン)は、もともと体内でつくられる甲状腺ホルモン(T4)を補うお薬です。妊娠中も安全に使用でき、胎児に悪影響を与えることはありません。むしろ、お母さんの甲状腺機能が低下したまま放置することの方が、胎児の神経発達や発育に影響を及ぼしたり、流産・早産のリスクを高めたりする可能性があります。
米国FDAの妊娠カテゴリーにおいても、レボチロキシンは「A」(対照研究で胎児へのリスクが確認されていない)に分類されており、妊娠中の安全性は確立されています。妊娠中も自己判断で服用を中止せず、必ず主治医の指示に従って服用を続けてください。
出産後の管理と授乳について
出産後は甲状腺機能が大きく変動しやすい時期です。橋本病の方では、産後数ヶ月以内に甲状腺機能が一時的に亢進したり低下したりする「産後甲状腺炎」を起こすことがあります。日本甲状腺学会のガイドラインでも、産後甲状腺炎は分娩後1年以内に5〜10%の頻度で生じるとされており、橋本病の抗体陽性の方は発症リスクが高いことが知られています。
- 産後6ヶ月〜1年は、定期的に甲状腺機能の検査を受けることをおすすめします
- 産後の疲労感、気分の落ち込み、動悸などが甲状腺機能の変動によるものである可能性もあります。産後うつとの鑑別のためにも、気になる症状があれば早めに受診してください
授乳中のチラーヂン服用について
チラーヂンを服用しながら授乳をしても問題ありません。母乳中に移行する甲状腺ホルモンの量はごく微量であり、赤ちゃんの甲状腺機能に影響を与えることはほとんどありません。お母さんの甲状腺機能を適切な状態に保ちながら、安心して授乳を続けていただけます。
授乳中も自己判断でチラーヂンを中止しないようご注意ください。お薬をやめることでお母さんの甲状腺機能が低下すると、疲れやすさや気分の落ち込みが強まり、育児にも影響が出る可能性があります。
よくある質問(FAQ)
Q. 橋本病でも妊娠できますか?
はい。多くの方が問題なく妊娠・出産されています。甲状腺機能が低下した状態では排卵や着床に影響が出ることがありますが、お薬で甲状腺機能を正常範囲に整えることで、一般の方と変わらない確率で妊娠が期待できます。妊娠前から甲状腺機能を整えておくことが最も大切です。
Q. 橋本病だと不妊になりやすいのですか?
甲状腺機能低下症の状態では、排卵がうまくいかなくなったり、子宮内膜の環境が整いにくくなったりすることがあります。ただし、これはお薬で甲状腺機能を正常に保つことで改善が期待できるものです。橋本病があるからといって必ずしも不妊になるわけではありません。不妊治療中の方は、甲状腺機能もあわせて確認されることをおすすめします。
Q. 抗体値が高いと流産しやすくなりますか?
抗TPO抗体などの甲状腺抗体値が高い方は、そうでない方に比べて流産のリスクがやや上昇するという報告があります(Thangaratinamらによるメタアナリシスでは、約2倍のリスク上昇が示されています)。ただし、これは絶対的なものではなく、個人差も大きいです。妊娠前から甲状腺機能をしっかりと整え、妊娠中も定期的に検査を受けて適切なホルモン量を維持することで、リスクを下げることができます。当院では抗体値も考慮しながら、お一人おひとりに合わせた管理を行っています。
Q. 妊娠中にチラーヂンの量を増やすと聞きましたが、なぜですか?
妊娠中は、胎児の発育のためにお母さんの甲状腺ホルモンの需要が増えます。特に妊娠初期は胎児自身が甲状腺ホルモンをつくれず、お母さんのホルモンに頼っているため、不足すると発育に影響する可能性があります。日本甲状腺学会のガイドラインでも、妊娠初期の甲状腺機能低下は胎児の神経認知機能に影響を及ぼす可能性が指摘されています。そのため、妊娠がわかった時点でチラーヂンの用量を30〜50%増量することが一般的です。妊娠が判明したら、できるだけ早く主治医に連絡してください。
Q. チラーヂンは胎児に影響しませんか?
チラーヂン自体が胎児に悪影響を与えることはありません。チラーヂンは体内でつくられる甲状腺ホルモンを補うお薬であり、妊娠中も安全に使用できます。米国FDAの妊娠カテゴリーでも「A」(胎児へのリスクが確認されていない)に分類されています。むしろ、甲状腺機能が低下したまま放置することの方が胎児にとってリスクとなります。自己判断で服用を中止せず、主治医の指示に従ってください。
Q. チラーヂンを飲みながら授乳しても大丈夫ですか?
はい、問題ありません。チラーヂンは母乳中にほとんど移行せず、赤ちゃんの甲状腺機能に影響を与えることはないとされています。お母さんの甲状腺機能を正常に保つことが、母乳育児を元気に続けるためにも大切です。授乳中も自己判断で服用を中止しないようご注意ください。
Q. 橋本病は子供に遺伝しますか?
橋本病は、特定の遺伝子が直接引き継がれる遺伝病ではありません。ただし、免疫系の体質や甲状腺のトラブルが起きやすい素因が、ご家族から受け継がれることはあります。体質があるからといって必ず発症するわけではなく、環境要因なども複雑に絡み合って発症するものです。お子さんが将来橋本病になる確率について、過度に心配される必要はありません。
Q. 産後に注意すべきことは何ですか?
産後は甲状腺機能が変動しやすい時期です。橋本病の方では「産後甲状腺炎」を起こすことがあり、一時的に甲状腺機能亢進や低下の症状が出ることがあります。日本甲状腺学会のガイドラインでは、産後甲状腺炎は分娩後1年以内に5〜10%の頻度で生じるとされており、抗体陽性の方は特に注意が必要です。産後の疲労感や気分の落ち込みが甲状腺機能の変動によるものである可能性もあるため、産後6ヶ月〜1年は定期的に検査を受けることをおすすめします。症状がある場合は、産後うつとの鑑別のためにも早めに受診してください。
Q. 妊娠中につわりでチラーヂンが飲めません。どうすればよいですか?
つわりで服用が難しい場合は、主治医にご相談ください。服用のタイミングを就寝前に変える、少量の水で飲むなど、工夫によって服用しやすくなる場合があります。ただし、自己判断で長期間服用を中断すると甲状腺機能が低下する可能性があるため、早めに主治医に連絡して対応を相談してください。
院長からのメッセージ
橋本病と妊娠について不安に感じられるのは当然のことです。インターネット上にはさまざまな情報があり、かえって心配が増してしまうこともあるかと思います。
当院では、日本甲状腺学会のガイドラインを基本としつつ、一人ひとりの抗体値や甲状腺機能の経過を丁寧に確認しながら、妊活中から妊娠中、出産後・授乳中まで、安心して過ごせるようサポートいたします。「こんなことを聞いてもいいのかな」と思うことでも、どうぞお気軽にご相談ください。
橋本病と妊娠のご相談
TEL: 047-467-5500
参考文献・参照ガイドライン
- 日本甲状腺学会「妊娠と甲状腺機能異常に関するガイドライン」(改訂版)
- American Thyroid Association (ATA) 2017 Guidelines for the Diagnosis and Management of Thyroid Disease During Pregnancy and the Postpartum
- Thangaratinam S, et al. Association between thyroid autoantibodies and miscarriage and preterm birth: meta-analysis of association studies. BMJ. 2011;342:d2616.
- Alexander EK, et al. 2017 Guidelines of the American Thyroid Association for the Diagnosis and Management of Thyroid Disease During Pregnancy and the Postpartum. Thyroid. 2017;27(3):315-389.
関連ページ:
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最終更新日:2026-07-27
👨⚕️ この記事の監修医師
下山 立志(しもやま たつし)
しもやま内科 院長
日本内科学会 総合内科専門医
日本糖尿病学会 糖尿病専門医・指導医
日本循環器学会 循環器専門医
日本老年医学会 老年科専門医・指導医
日本甲状腺学会 甲状腺専門医
糖尿病、甲状腺、副腎など内分泌疾患の診療に長年従事し、地域密着型の総合内科医として診療を行っています。